御礼(ブログを通じて漫画が描けるようになったこと)

わたくし庄司創はネットの人々に触れてアイデンティティを得たと言いますか、ブログを通じてもう一度漫画を描こうと決心できました。

その感動の秘話を書きます。


1994年、朝起きれなかった私は21才で美大を除籍に。その頃も漫画を描きたいとは思っていたものの、描きたいことはまとまらず、イラストが好きなわけではないので絵も下手*1。それでもライフハック「とにかく完成させる事が大事」的な発想で、何%の出来だったのやら、描き上げる事が目的のギャグ漫画12ページ*2をなんとか完成させて雑誌に投稿(受賞者無しですぐ休刊)しましたが、それを最後に漫画を描けなくなってしまいました。*3

ComicStudioEX 4.0

挫折の理由としてはまず「言いたい事がまとまらない」、次が「つけペンが習得できない」でした。ペンに関しては後に昼サイさんことid:rahorahoさんの日記でコミックスタジオというソフトを知って、これなら描けるんじゃないかと制作意欲が戻りました。セルシス様々ですね。コミスタ*4アフィリエイトも貼っておこう……。四季賞はネットからデータ入稿もできます……。

そしてその2004年、ブログをはじめて1年半ほどたった頃、私はいつのまにか「言いたい事」もまとまるようになっていたのです。(秘話っぽい!)


経緯としましては2003年、それまでの私はサイトを持ったことがなく、ろじぱらや桃加護などのテキストサイトを読んでは「こんな面白い文章が書けてすごいなー……それも無料なんて……」「引き比べて自分は凡庸だし……」などと思っていました。そういう人間に無性に腹が立つ方もいらっしゃるかと思いますが、こらえてください。

しかしある時はてなダイアリー*5を気楽に始めましたところ、日記にコメントをくださった方*6がいて、ちょっと面白いやりとりができまして。その勢いで日記をおまえなんか、訳してやる!というタイトルに変えて、一度やってみたかった勝手訳を始めました。

それは“意味が分からない外来語に勝手な訳をつける”という趣旨のブログなんですけども、このへんはどうでもいいのかな。良くないかな。ブログなんですけども、私は漠然と“そんなことは沢山の人がとっくにやっている”と思っていたんですね。自分のありきたりさを勝手に設定していたんです。

ところが実際やって見ると、2ちゃんねるに同じような趣旨のスレはあったものの、同じようなサイトというのはほとんどありませんでした。本当に翻訳のできる人はそんな無駄な事はしないし、国立国語研究所がたまーに外来語言い換えをするくらいで、勝手な語訳をするモチベーションと暇のある人なんてまずいなかったんですね。

そこで体感したのは「自分と同じような事を考えている人は少ないし、それをわざわざ書く人はもっと少ない」という事でした。(いい話!)

さらにブログユーザー同士のいろんな議論に参加するうち、自分と同じような考えをする人と言うのはやっぱり少ないものだな(自分は変わってる、優れてはいないようだが)と感じました。実際どれほどのものかは置いておいて、自分の希少性にネットに出てみて気がついたんですね。この自己再評価が大きかったです。


私のブログはまあまあの人気となりまして、その小さな成功体験もはずみになっていました。(いざ感動へ)

訳語はまったくの専門外でしたが、『なんでRSSを「購読」なんだ、無料じゃないか』みたいな話*7をして、純粋に自分が言いたいだけのことを書いていますから、「言いたい事をまとめる」練習が何百回もできたわけです。読者さんの反応を得ながら。

さらに重要な事ですが、どういう事がどのくらいウケるのか感覚がつかめてくるにつれて、「とっても言いたいけれどブログの記事には向いていない事」が心の中にたまってきたのです。それは言いたいことをじっくり醸成するのと同じことでした。その内容を、漫画に変換して描くという方法*8にしたら、なんと話がまとまったんですね。


コミックスタジオに触れて描けると分かったらもう描かずにいられなくなったというのもあります。さっきの「わざわざ書く人はもっと少ない」という法則に鼓舞されつつ、“この事をこんなに一所懸命描く奴は誰もいないだろう”という漫画を描くようにしました。

そして2004〜2008年の足掛け4年で「三文未来の家庭訪問」という95ページの作品を描きまして(遅!)、「秋の賞に間に合わなかったらもう別れる」と今の妻に宣告されながら、審査員が萩尾望都先生に代わったことも知らずに投稿するのですが、そのてん末はまた別の機会に……。

そういう経緯ですからブログの常連さんはもちろん、はてブやコメントを下さった方とか、うちのサイトをちょっと見てくださった方々にもちょっとずつ、全体では深く感謝している次第です。本当に、ありがとうございます。一寸先はなんとやらで先の事は分かりませんが、ネット活動は細々でも続けたいと思っております。また何かの機会におつきあいください!


今月は去年行けなかった母の墓参りに行って、まとまった報告をしたいと思います。

「お母さん、報告が遅れてごめんなさい。
やっと結婚しました。
子供を授かりました。
25才までに芽が出なかったら漫画をあきらめるという約束を破ってすみません。
あの萩尾先生に、お褒めの言葉を頂きましたよ。
これで10年は戦えると思います。」……と。

あと母親孝行を売りにする男にろくな奴はいないと思うので、皆さん心を許さないでくださいね。ん、別に孝行話じゃなかった。(感動秘話終了)

*1:視覚伝達デザイン科という学科でしたが、線画や人物を描く機会は少なく、イラストや漫画をうまく描ける人というのはそれはそれで特殊技能持ちという感じでした。

*2:そのギャグ漫画のキャラがおま訳の記事中に出てくるイラストのキャラです。

*3:その頃母が亡くなり以降はほとんどの期間、母の遺した金を取り崩しながら食えないデザイン業をしてました。

*4:Mac OS X版はこちら。私は3D機能などが欲しくてEX使ってますが、Proでもいいかも。

*5:このブログと同じブログサービス。当時はブログでなくウェブ日記などと言われていた

*6:id:nobodyさん

*7:くだらなくない、くだらなくないよ!

*8:漫画制作ハウツー本では「テーマから」「キャラから」「ストーリーから」という作り方を教えるのが多いんですが、私はもっとじっくり「テーゼ」に煮詰めてから始めに言葉ありきで漫画に展開する必要があったようです。その煮詰めたフォンドヴォーが入ってないと、どんなストーリーも描くほどの事ではないように思えてしまうんです。まあ、そのため作家然とした作風になるとか商業漫画家としてはムニャムニャ……という問題もあるのですけれども、描けないよりは嬉しいです!

メールはこちらまで: sugio0089@yahoo.co.jp