講談社でLGBT関係の漫画を描くのって実際どうなのという話

白馬のお嫁さん(1) (アフタヌーンKC)
今月号の月刊アフタヌーンで「白馬のお嫁さん」が最終話を迎えました。最後までおつきあいいただいた皆様、ありごとうございます。(最終3巻は8/23発売予定です。書店等でご予約いただければ。)

かわいい女の子みたいなのが沢山描けて楽しいことの多い連載でした。「このマンガがすごい!」で高野文子先生に読んでる漫画のひとつに挙げていただいたのもうれしい思い出です。高野先生に読まれるなんてまったく想像していなかったので驚きました。

次回作はまたぜんぜん違うものになるんじゃないかと思いますが、また皆様にお読みいただければさいわいです。


[まとめ買い] 境界のないセカイ(角川コミックス・エース)
で、せっかくこういう漫画を描きましたので、「講談社の雑誌でLGBT関係の漫画を描くのって実際どうなの」という点について書いてみます。

「裏方のことはあまり知りたくない」という方は読まれなくて大丈夫です。そんなショッキングが内容があるわけでもありませんので。

去年「境界のないセカイ」の連載について講談社の対応が物議を醸したこともあり*1、すでに結論を得ているかたも多いかと思いますが、ほかの新人漫画家さんなどのご参考になればと。

ただこの記事は編集さんのチェックももらっていませんし、2,3人の講談社の方たちと仕事をした一漫画家視点の話だとご了承ください。またなにか私の勘違いなどがございましたら、ご指摘をお願いいたします。


編集部の方は人それぞれ、とくにLGBTに好意的でも差別的でもないです。

アフタヌーンは今「げんしけん二代目」で女装男子のややこしい恋愛をやってますし、「月に吠えらんねえ」もゲイの要素がありますし、以前にも秋山はる先生の「オクターヴ」(ガチ百合)などがありました。もともとLGBTのテーマを盛り込んだ作品が多く連載されています。だからとは言えないかもしれませんが、編集部全体が頑迷な差別主義ということはありません。


ただし表現に注文はつきます。はっきりとした決まりがあるわけではありませんが、訴訟リスクを下げることが編集さんの仕事の一部なんだな、というかんじです。

これに関しては大手出版社は提訴されやすいからという事情があるようです。ちゃんとしたデータを知らないのですが、社会的影響力が強く、訴えられても潰れず、支払い能力のある会社が訴訟を起こされやすいというのは想像できます。


さらにそこで漫画特有の事情がからんできます。ひとつの絵、ひとつのコマ、ひとつのシーンといった局所的な部分を抜きとって問題にされることが多いのです。

すこし昔で言えば手塚作品や藤子作品の黒人にまつわる表現が問題になり、出版停止や回収・絶版にいたったパターンです。たとえ全体では人類愛や博愛をつたえるような作品でも、絵のデフォルメやセリフが問題となったりして、漫画の主張とは正反対の方向で問題視されることもあるわけです。「次のコマのセリフでフォローしているから」というようなことも通用しません。

これは作る側からすると「全体を見てよ」と言いたくなりますが、では部分のほうに責任を持たなくていいのかとなるとそうは言えません。差別的な表現を何巻もつづけておいて、じっさい読んで傷ついた人がいても、最後のコマで「今までのはウソ。差別はよくない!」と言えばそれまでの内容は問題なしになるのか、ということになるでしょう。吹き出しひとつ、カットひとつから訴訟対象になる問題にはかんたんな解決策はなさそうです。

実際訴訟が起こるかどうかはわかりませんから作り手は一定の基準でリスクを回避することになりますが、「境界のないセカイ」は幾夜大黒堂先生の記事によるとweb版と雑誌で編集サイドの基準が異なり、連携に不備があったことから連載中止騒動になったようです。


では「白馬のお嫁さん」でどういうリスク回避が行われたかと言いますと

主語を大きくしない

登場人物の産む男、主馬君は設定上ゲイなのですが、作中でゲイと言う言葉は使われていません。ゲイですが。

ゲイという単語を出さなければ「主馬=ゲイ=〇〇」という主張をうっかりしないですみます。「作者はゲイ全体をこう思っているのか」という曲解はどこでどう受けるか予想しきれませんから、そもそもゲイかどうか正確にはわからない状態にしてしまいます。

「黒人差別描写を回避するために黒人自体を出さない」という悲しい状況を思わせる方法ではありますけれども、気をつけて読むとこれによって描かれている商業漫画は多いです。どのコマも、どのセリフにも、どの方向からも問題があってはならないとなると、この方法は有効なようです。

「作中でゲイという言葉を普通に使うことに意義がある、そういう作風だ」という作者さんにこの方法はとれませんが、私の場合はそこが要点ではありませんので、「作中のことはあくまでそのキャラクター個人のことなのだ」と主語を小さくすることで、ゲイの主要人物を出しやすくしました。

3巻ではゲイコミュニティーが登場しますが、こちらの人々は一時的な脇役なのでゲイという言葉を使いました。

曲解されそうな要素はシーンを分ける(3巻ネタバレあり)

20話の清隆のセリフ「いや…あいつは異性愛者で女が好きだから…」 21話の学のモノローグ「…ロボット注射のアシストがあればきっと清隆に恋することもできる」

同じく登場人物の産む男、学君は異性愛者ですが、友人の清隆の求愛に応えて性指向をバイセクシャルに変化させる施術を受けるかどうか悩みます。この時代では病院でそれができるわけですが、その際「性指向を医療的技術で変えられる」という表現が回避されています。

世界には“LGBTは性指向を異性愛に改めるべきだ。”という主張をする人々がいて、これも白馬のお嫁さんの主張とはまったく正反対ですが、「性指向を変える」という表現が一コマ出てくるだけで、私もその人々と同様の主張をしているととられかねないからです。実際にはそんな曲解をして傷つく人は出てこないかもしれませんが、ここでも無用のリスクは回避することにしました。

そこで「学は異性愛者だ」ということを示すシーンを20話(コミックス収録時)に、「学は技術的に清隆に恋ができるようになる」と示すシーンを21話に描きました。これで彼は性指向を変えるかどうか迷っていることが読み手に伝わります。

複数のシーンを持ってきて「このように解釈できる。けしからん!」という訴えはそれほど怖くありません。それならストーリーから読み取れる普通の解釈はなんなのかという議論になって、本当に内容がけしからぬものでないかぎり、問題ないからです。

一コマを切り取られるのが一番おそろしいので、そのようにしてみました。


といったかんじで娯楽作品として皆様にご提供しているわけですが、私の場合は慣れてくるとそれほど大変ではありませんでした。

前述のように講談社にもLGBT要素のある作品を推してくれる編集さんたちがいます。ですからこれからそういうジャンルの作品を描きたい方も、選択肢としてハナから避けることはないですよ、と言いたいです。もちろん、もっと自由に描ける場所の魅力はありますけどね。ではでは。


(5/26追記)昨日の記事の補足 - 庄司創のブログを書きました。
↓白馬のお嫁さんがどういう話なのかはこちら。
Webコミックサイト モアイ - 白馬のお嫁さんの第1話無料公開はこちらです。

白馬のお嫁さん(1) (アフタヌーンKC)

白馬のお嫁さん(1) (アフタヌーンKC)

メールはこちらまで: sugio0089@yahoo.co.jp